磯村豊司
露庵

介護を受ける方、
そのご家族ともに安心して暮らせる未来を考える

理事長 磯村 豊司

「人は人のために生きる」これが私のモットーだ。現在、医療法人育德会、社会福祉法人延德会の理事長を兼任しているが、それまでの道のりは長い。

平成4年、やっとの思いで開業した。地域の方々の願いをくみ取っていく中で、在宅往診や介護する家族の方の疲弊など、傍観できない状況に直面した。

リハビリテーションや通所介護とともに、在宅支援事業所も併存させた「マリアの家」を立ち上げたのは、家財をなげうってでも「人のために」自分にできることをしなければ、という強い思いからだった。

3年前まで当院で受診していた患者様との再会、それは地域の方々の願いを象徴する出来事でもあった。

この夏の異常な暑さで、熱中症で倒れることも珍しくはない。市の福祉課からの依頼で、ある長屋を訪れると、倒れている主人は見知った顔であった。3年前当院を受診していたころは、持病のアルコール性肝硬変の治療を受けており、安定していたはずだった。

足を踏み入れた部屋はゴミとカビで埋め尽くされており、当人からは尿漏れや幾日も着続けられた衣類により、悪臭が漂っている。緊急入院させなければという直感があった。「なにしに来た」と息絶えそうな声で応答があったが、このような姿になった自分を見られるのが耐えられなかったのだろう。

市職員の呼びかけに入院の運びとなり、難を逃れた。後日、笑顔を浮かべている姿を見ることができ心から安堵した。

多角的に地域の方々の願いをとらえられるようになったのは、遡れば研修医時代であった。現在は統合されたいるが、当時は、厚生連愛北病院といわれ、中型野戦病院でだった。

全国農協組合系の糖尿病専門で名の通った病院長の下で3人の研修医の1人として、ガンセンターの消化器内視鏡学を学び、他の2人は透析、放射線科の診断学を学んだ。研修医同士、情報交換を盛んにすることで、互いの向上を図った。大学に戻ると、臨床内科の再教育を受けた。当時、早期胃ガンの発見をして患者を救った感慨は、より多くの人を救いたいという今の自分に繋がっている。

その傍ら、人の心を潤すものは健康だけではない、という思いがあった。美しいものを美しいものとして感じられる心の潤滑油が必要であると考えるようになったのは、これもまた人とのかかわりのなかでのできごとだった。

以前より甲冑に興味を抱いていた私は、甲冑師との出会いにより、価値観が変わったのである。

人の心を打つものは、時代や目的、誰のためにつくられたかなど、複雑な価値観が絡みあって形成されている、甲冑師はそのことに気づかせてくれたのだ。

甲冑だけではなく、さまざまな芸術作品に共通していることであり、日本文化のわびさびとは、切り離して考えることはできない。

健全であるためには、心と体のどちらが欠けてもならない。

現在、短期療養施設として、ノアの家を開設準備中である。(開設済)今のままでは、地域に安心、そして安全を未来へという姿勢が維持できないからだ。

2025年には65歳以上の人口がピークを迎える。今までどおりのサービスが受けられなくなるのは見に見えている。患者も、介護をする家族も。

ならばともに生きることを念頭に、地域の人が地域の人を守ることも視野に入れて、進んでいくのだ。私の思いは揺るがない。

江戸時代より根付いていた隣組という文化を受け継ぎ、失われていく他の文化の継承に少しでも役立ちたいと考えている。「人は人のために生きる」。私のモットーは、ずっと昔から受け継がれている信念でもあるのだ。

一方で自己中心的な社会になるつつもある。「個人」の意味をはきちがえた人々が、身勝手な事件を起こしているのも事実だ。

だからこそ、と私は言いたい。これらの事件にこそ、「人は人のために生きる」ことの意味を、気付かせてくれるのだと。今だけではなく、未来へとつながる活動をしていく所存である。

(「喜楽」2011年vol.3掲載分を一部修正して掲載)

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